時代はずいぶんと急ぎ足になり、鑑賞するという言葉が使いにくくなっていると思います。
もちろんすべての人に対してではなく、現代以降のメインストリームでスピードを意識した生活に身を置いているとでありますが。
昔の美術芸術を見ると細密に作られてるものを多く見かけます。
それは今と異なる空気感があったように思います。
例えば一つのものに一日を費やしてもいいような。
例えば一つのものを鑑賞するのに一日を費やしてもいいような。
そういう意識やニーズがあったからこそ、緻密で幾重にも重ねられたものが生まれてくるのではないでしょうか。ただ単に自意識という範疇の中だけでなく、共有できるものだからこそ価値が高かったように思います。
では、今はというと、そこまで深く鑑賞する「時間」も「鑑賞眼」も昔ほどに賑やかなものといえないかもしれません。しかしながら欲しいだけの情報や資料があらゆる角度から手にはいることが出来ます。
であるならば、簡素主義というものが現代の「ファストライフ」に見合っているものであるならば
建築は、空間は、その逆にあるものではないでしょうか。対象は一日ではなく、一生にも関わることです。より練り込まなければ。そう考えます。



