Talk-onetree |一木 聡 satoshi ichiki |sichiki いろいろなデザインについて考えています.

プロフィールはホームページをご覧下さい.http://sites.google.com/site/onetreecom

2011年12月31日

鑑賞する時間




時代はずいぶんと急ぎ足になり、鑑賞するという言葉が使いにくくなっていると思います。

もちろんすべての人に対してではなく、現代以降のメインストリームでスピードを意識した生活に身を置いているとでありますが。


昔の美術芸術を見ると細密に作られてるものを多く見かけます。

それは今と異なる空気感があったように思います。


例えば一つのものに一日を費やしてもいいような。

例えば一つのものを鑑賞するのに一日を費やしてもいいような。


そういう意識やニーズがあったからこそ、緻密で幾重にも重ねられたものが生まれてくるのではないでしょうか。ただ単に自意識という範疇の中だけでなく、共有できるものだからこそ価値が高かったように思います。

では、今はというと、そこまで深く鑑賞する「時間」も「鑑賞眼」も昔ほどに賑やかなものといえないかもしれません。しかしながら欲しいだけの情報や資料があらゆる角度から手にはいることが出来ます。


であるならば、簡素主義というものが現代の「ファストライフ」に見合っているものであるならば
建築は、空間は、その逆にあるものではないでしょうか。対象は一日ではなく、一生にも関わることです。より練り込まなければ。そう考えます。


2011年12月21日

最近のGoogleDesignについて。



最近のGoogleサービスのインターフェース。シンプルになりましたね。

とても。

正直あんまり評判良くないですけどね。私のブログデザインと考えてることは一緒だと思うんですが、たぶんねらったのは「表示速度」や「機能の簡素化」じゃないかな。と思います。

でもそれに加えて(もしくはそれ以上に)Googleシステムへの統合配慮があるんでしょうね。

GoogleChromeはとても良くできたブラウザで素晴らしいと思います。拡張機能とスピードという新しい可能性が示されたのではないでしょうか。また、Google+についても写真やキャプチャを共有したりページリンクそのものをストリームというデータ共有の場にしてみたりと、このふたつを核にして色々なものを「横つながり」する試みなのでしょうね。

Google自体は色々なサービスを提供している会社とチームを組んでサービスの幅を広げてきたようですが、Google+のデザインを素敵にしたのでそれに合わせて良くしようとしているのでしょうね。

しかし、評判が良くない。

私なりにその理由を考えると、メリハリが無くどのサイトデザインも同じ様に見えるので直感的に覚えにくいのではないのかなと思います。

Googleのサービスは元々説明書など無いので、「わかりやすさ」が必要ではないかと思います。その部分で秀でているのは私個人ではYahoo(Japan)ではないかなと思いますね。見やすくデザインが成されているので入り口がやわらかい。

表示速度や効率化ということも大事でありますが、ただでさえインターネット自体が直線的な世界であるのだから、もう少し有機的に、ユーザーへの優しさのあるものがいいんじゃないかな。と思いました。

以上のことは、実は自分のデザインでもよく考えなくてはいけないんですが。。。
自問自答してみますね。


2011年12月10日

旅順 203高地について

 中国 遼寧省大連旅順口区 203景区より 旅順口をみる | Port Arthur Dalian China.


今、「坂の上の雲」という日露戦争についてのドラマが放映されています。

その戦争の大きな局面となったとされている、203高地に於いて、以前公園デザインを現地政府から依頼されてデザインに取り組みました。今までは戦争のことをよくご存じの年代の方々はとても関心をもたれていたのですが、ドラマ化や大連への旅行などがし易くなり以前よりも身近に感じられるかもしれません。

旅順という地域は大連市に属しており海産物がとてもおいしく、大連市中の大学や経済発展区という経済特区等により急激に近代化しており、遠くもない未来には青島までの地下トンネルが開通するという壮大な計画もあるようです。

この地域は人が純朴で明るく、質素な印象です。戦争の起こる前からそうだったのかと思います。夏は遼東半島で一番暖かく、ロシア人が鉄道でバカンスに来るくらい。海に囲まれているせいか冬の風は寒く極端な温度差がある場所です。

私が仕事で訪れていた頃はまだ、外国人に旅順のすべてを開放しておらずカメラ撮影も一部の観光地のみという感じでしたが、現地政府の案内の元色々な所に視察に行ったのでほとんどすべての部分を(希望して)見て回りました。

戦争による史跡が数多く、旧日本軍と関わりの深い施設の跡も多くあります。大連には文化的な施設が多くありますが、旅順には軍の施設の跡が多くあります。また、川島芳子の育った家などもありました。夏目漱石もこの地を訪れており、大連と共に日本と関わりの深い場所でした。


203高地は中国でも一番ランクの高い自然景観公園区となっていて昔の草木の一本もない戦争時の山の印象とはだいぶ異なると思います。確かにその山は旧市街地を見渡すことが出来、他の山地よりも高く、なだらかな斜面を持つ山で旅順口までしっかりと見える場所。存在自体はそれほど華やかではなく地味なものですが、今でも多くの日本人観光客が訪れています。


現在景区の入り口として観光者に開放されている登り口は戦争時旧日本軍が攻め上った北西側とは反対の斜面です。私はその場所に日本から送られた数千本もの桜の存在を活かしながら、山を登る、という行為を大切に考え「祈りの道」というのを考えました。山頂まで一直線に登る坂道です。それは、現地政府から好評を得ました。


旅順という場所は大陸というより、島に近い半島の先端です。
その場所だからこそ、航海の要所、海へと近い拠点として昔から翻弄されてきたようです。


「ナマコがうまいだろう、刺身も捨てたモノではないだろう。」と私に人なつっこく話しかけてくれ、海や山が好きで健康的で、のんびりとした人柄を持つこの地の人々に私の郷里に近いものを感じていました。何となく写真を構えてもすべてがセピア色に写っているようなそんな感覚も何か不思議な気持ちにさせます。


この地での戦争という歴史は二度と繰り返したくない出来事です。ここで生きた人たちの思いが新しい国々のつながりになることを願っています。

節目に自然と


大磯  神奈川県 | OOISO kanagawa.




自分の立場だったり環境だったり、大きく変わろうとしているとき。そんなときは少しでもいいので自然の風景、自然のエネルギーに触れたくなります。

何故なんでしょうね。もう一踏ん張りで自分も頑張らなくては。ということなのでしょうか。

ともかく節目節目になるとき、仕事や小難しい人間関係を差し引いて自然の中に身を置いてみたくなります。やはり、人は自然に還るのでしょうか。

でも、考えてみれば人間というのも自然の一部で、ずっと見ていても飽きないというのは何となく同じような感覚だなあとも思います。

2011年11月19日

「大きさ」について



私にはものに対して好みの大きさがあります。皆さんはどうでしょうか。例えば食べもの。果物や野菜でもこのくらいの大きさというのが頭に浮かんで、感覚的にそれをつかんでしまう。冷凍食品やパッケージされたお菓子なんかもそうかもしれません。


最近つくづく考えるのは携帯とカメラ。携帯は話すのに適した大きさというのもありますが、最近では話すことの他に端末としてのアクションを行う役割があるために大きさというのが微妙なところもある。


ある影響から小さな携帯を今でも利用していますが、通話とメールに関していえばそれで十分だし非常に便利。感覚的に電話であれば持って話していても苦痛にならないというのは大きいと思う。


そして、カメラ。最近はミラーレスなど新しい規格が新しいユーザーを開拓していて興味深いですが、名刺サイズの大きさやトイデジなんかのように面白さがあるものとは違い、カメラの大きさって云うのは手のひらにどんな風に収まるかっていうこと。


カメラは手のひらに収まる大きさでなおかつ、日常から想いまでを切り取れるものがいい。そうすると普段から持ち歩くのにはカメラたる大きさのルーツがライカ的な大きさなのかもしれない。レンズというのも素晴らしいけれどずっとオンカメラの状態の方が楽しい。


空間と領域。これらについても何かしらのことがいえるのではないだろうか。食べるために望まれる大きさ。寝るために望まれる大きさ。生活には自然的な感覚に近い空間の大きさがある。スケールという洗練した考え方で人間は空間をとらえてきた。


空間には空気の流れがあってそれはどこ彼処に続いていく。中だと思っていても外であったりその逆もある。庭だと思っていてもそこは中と呼ぶにふさわしかったりもする。借景を飛び越えて、意識でそこに存在することが出来る。時にステイタスに感じる人もいるだろう。


たとえば森の中に家があって、その人の空間の大きさというのがボンヤリしてしまう。しかしながらそれが森に求められる空間の大きさであって適切だからひとはそれを求めようとする。得られる清々しさと共に。


もっと大きく考えてみれば地球の大きさだってある。自分の歳での気持ちですが、昔は宇宙と同様に地球は大きく無限のようでミステリアスだった。でも今はずいぶんと身近で大陸は一つの領域としてあり、山奥のことまでイメージが出来るようになった。


どうやら生きていく上での体験や経験、そして期待のようなものに関して「大きさ」というのは自分の中に蓄積されていったり、消化されていったりしていくようだ。つまり大きさというのは人それぞれにあるものだということ。


それぞれの人に大きさがあってそれによって、緊張感や開放感、閉塞感や高所感などが存在しているのであれば大きさというのは観念的なものではなく、感覚的なものだということが合っているのかもしれない。


しかしながら大きさというのは未知への想いというものをはらんでいるように期待せずには居られない。もしかしたら自分の身の回りに望むべき大きさがあるのかもしれない。


(ツイッターより転載)

2011年10月27日

A Design for Life-log

ougai mori  1862-1922

現代の作詩。

私は大昔、作詞家になりたかったので文を考えることは好きです。
今はTwitterやEvernoteにより最短距離で文を残すことが出来るので便利を感じています

森鴎外という人は直裁的に文を残すことの名人だったと思います。
書いてるものは全然違いますが、歳のせいか少し気持ちがわかるようになったような。

「ライフログ」という言葉があります。それに関する研究者も数多くいらっしゃいますね。
残すという行為がストックしていく。なにか、お金ではないけど財産が貯まっていくような。
大小そんな喜びがあるんではないかななんて思います。

考えるに詠うこと、作文すること、写真を撮ること、これらは感情を豊かに表現してくれ
自分だけの「何か」が残っていく。

「A Design for Life-log」 ですね。











2011年10月11日

15時から17時。

この時間帯

勉強してる学生や
学校帰りの学生や
買物帰りの主婦や
親子(買い物)や
老人(おひとり)
などいろんな人があふれる
にぎやかな時間。


これに
7時くらいになると
会社帰りの人が
加わってくる。


日本らしい
解放的な時間



よく、外国を紹介するテレビで午前中からのんびりしているシーンを見るけど、日本ではこの時間に集中して発散してる感じ。なんで、賑やかさが違うのかも。


ちなみにその時間は、西日だなぁ。と中庭を見ながら考えている

2011年10月3日

震災後移転について



仙台市の試算結果は多くて3000万円程度だという。内陸移転を前提としている中、従前地価が下がり、建築費負担がない現状で「住む」ということが厳しい。

復興用住宅が数多く計画されているというがそれはどういう想定なのか。仙台市のような都市部での想定が数千万円の負担が前提であるのならば都市にはもう住めないということにはならないか。

土地の整備や造成費には補助金が出るらしい。たぶんがれき撤去はすでにその部分に関わっているように見えるので、その延長と考えられたとは思う。阪神淡路の時も仮設住宅から全世帯引っ越しまでは何年もかかったという。

これから数年、何十年も掛かるかもしれない再生に向けてしばらく人の支えというのが必要になるのであろうと思う。もし出来るのであれば既存のまちに目を向けて支え合えるようなコミュニティを形成できないか

東北の人は人見知りが比較的多いかもしれないがなれると懐が深い。そしてそれはちいさなまちのコミュニティ形成に必要な資質だと思う。避難所では壁がなかったが今は仮設住宅となり壁が出来たという人もいる。

高層の復興住宅ではなく壁の存在があまりない住まいのかたち。そういう集合体でも一つのビジョンになるのではないだろうか。例えば全く知らないところにポツンと引っ越して同情を感じるより、支え合い生きていく。

ただ単に内陸部移転、ということだけではなく「共に」再生していくことを考えることのできる場所。一部の場所では工夫して屋台村などをにぎわいのシンボルとしているところもある。

であるならば移転を構想する際に「住まう」シンボル(拠点)をつくるべきではないだろうか。そうすれば自治体以外からの支援、補助となる活動も行いやすくなるし継続性も生まれやすくなる。

そして何よりも声に出して助けを求めなくても、希望がその場所に感じることが出来る。「頑張る」ということももちろん大事だろうが、またこれから寒くなり一層助けを求めたいのに声にならない。そんな人たちのために考えられるのは「住みたいと思える」場所ではないか。


(ツイッターより転載)

2011年9月17日

藤子・F・不二雄ミュージアムにて。






川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム  神奈川県 | fujikoF museum(DORAEMON) kawasaki kanagawa . 


向ヶ丘遊園で打合せのあと、行ってきました。
チケットは無かったですが、庭やカフェや展示室の一部も入れました。
(正面玄関ではないですが、オフィシャルな入り口からです)
                    向ヶ丘遊園駅前で出迎えてくれる小さなドラえもん→


                                                              土曜日なのでお客さんが多いこと。。
当然こどもが多いのですが、おっきなカメラを抱えた大人もちらほら。。


作り込んでますね。かなり。。川崎市の施設というのは今日知りましたが、遊園の駅前から道も綺麗になっていてかなり市の努力も見えるこの建物。


10年ぐらい構想から掛かったというのも単に補助的なことでなく後背に豊かな生田緑地(バラ園のすぐ近く)の緑を大きく活かしている。これは普通の民間の範疇では。。。と思ってしまうくらいの同化。


開館までの夫人のインタビューも読んだけれど、宝として丁寧に創り上げていったのではないか。10年前と言えばこどもの遊び場であった向ヶ丘遊園もあったわけだし、2002年に閉園したことで本当にプロジェクトが出来るのかどうかと言うことでもきっと葛藤があったと思う。岡本太郎美術館も同じように遊園地のことを意識していたのではないだろうか。昔ほど向ヶ丘遊園駅前の賑わいは無いらしいがこどもがにぎわうべく楽しそうな雰囲気はこの街にはあると思う。そして、それをみんなで活かそうとしていると思う。


建築的には現代建築。傾斜地の特質を余ることなく活かしているといったところ。
斜面地を彫り込んで、表からは想像できない深さ、静けさ、広さがあると感じた。
空間の余白を活かし、案内や展示物をはっきり見せる手法をとっている。
(あえて詳しく書きません)


作者の机を再現した空間はものすごく濃密。あそこがたぶん建物の中心のふかーいところで、そこから展示室の作品群が生まれていってる。というストーリー性なのかな。


庭があって、カフェがあって、屋上庭園があって。大人も楽しそう。



ここはたぶんキャラクター達がたくさん待っている作者のもう一つの家なんでしょうね。





2011年9月15日

震災からきづく、堤防について

Laguna veneta. Venice  
遠くにLidoの潟。アドリア海からVeniceを緩衝させる役割になっている




私の考えも少し似ているけれど、内地に緩衝帯を作るだけではなく、海上にいくつかの緩衝堤を作ってはどうか。ベネチアのラグーンのイメージで。いくつかで新たな道をつくり貯水潟を作れないか


先日岩手田老町の震災時の番組を見ていたがあまりにも大きな堤防が海への視界を塞いでいるために、突然波が表れ、突風を招いたという。そのこともあり海上に堤を作る説得力が増した。


しかもリアス式の場合、入り江になっているため、入り込んだら様々な方向に拡散する可能性が大きい。そのためにも入り江以前にいくつもの堤が必要ではないか。不可能ではないはず


今回の震災で歴史が大きな証明となることを示している。これまでに出来なかったことを国内外、官民一体で進めなければずっと歴史を繰り返してしまうのではないか


(「土木学会津波委/防護・減災の2レベルで堤防設計/津波想定し街づくり」
 からの所懐 ツイッターより転載)



2011年9月13日

ざわわ


稲穂   横浜市


風を感じること

太陽を浴びること

色が色らしく見えること

時々休息も大事だな




2011年9月3日

鎌倉のこと




鎌倉 建長寺 神奈川



鎌倉のこと。

2011年8月28日

おもしろどうぶつ展


Cat2011-01 三沢厚彦 横須賀美術館

ウチの奥さんの妊娠もあり、タイミング見ながら是非行きたかった美術展。
行って参りました。

どうぶつというと、なんだかおもしろそう。

そう、おもしろそう。でも、竹内栖鳳の屏風もあったりして、おもしろさと迫力のギャップ感が現代風。でも、よく考えられた展覧会でした。
伝統文化の象徴ともいえる屏風のダイナミックな「迫真の表現」。そして大正、明治期における西洋文化の渡来からなるサーカスなどの一風変わった「好奇の視線」。そして現代の「どうぶつと芸術家」。時代が移り変わるにつれどうぶつの表情が変わり形さえ変わっていく。

私なりに、これらはその時代その時代のひととどうぶつとの関わり合いがあるのかなあと思いました。

江戸らへんではイメージ強さや美しさ、時にはかなさを構図から。まるでそこに実物と対峙しているように。

大正では文明開化とロマン。動物と愉しむ場という新しい空間、不思議な世界。

そして現代に移り、ぐっと近くなる。「みんなのどうぶつ」時にはぴったり寄り添ったり、散歩したり。

これらはぐっとにらみつける迫力からデフォルメされておもちゃになるという。


虚像からモチーフ。

ひとりでなるほど。と思いました。



2011年8月27日

カメラ。

          (C) 2011 Yahoo Japan Corporation.


RICOHのGRDというカメラを現在メインに使っています。
その前もRICOHのGX200。デザインが好きなんですね。
でも、GRDがRICOHカメラデザインの原点みたいで。色々テストを繰り返して付け足して。そぎ落として。やっとこの形になったというストーリーがあって。カメラらしいデザインが好きです。

画質についてはあんまり細かいところまでわかんないのですが、GX200の方が発色が強く魚眼的でドラマティック。GRDはボヤッとしないで、ひずみが無く等倍でも綺麗。RICOHカメラは広角や近撮撮影がすごく綺麗なのが職業柄気に入ってます。

様々なシンパの多いこの機種ですが、自分らしいのが撮れればいいかなと。絞りを自分なりに考えながら土門拳みたいにビシッとしたのを撮りたいなんて思いながら、結局ほぼ家族主体に撮るのを楽しんでいます。




2011年8月24日

都市マスや建築は





建築がまちにおかれる時のひととの関わりというのは、今までの日本のように意味や理由が曖昧で抽象的なものではなく、具体的な存在事由があることがより求められていくのではないか。ツイートひとつでも意味のある世の中。建物やマスタープランとはみんなが興味があること



都市マスはルールに近い目標ではあるけれど、個人的な判断は自治体の長であっても善し悪しのディレクションというのは難しく、かといって研究者が自治体の意向を翻すこともないだろう。マスタープランというのは「一番重要な都市の設計図」ではなく「このまちの羅針盤」のはず



つまりこれらの「まち」に関わることは日常であるのだから、より生活者が観点を持っていいことではないかと私は考えているのです。



(新建築ユーストについての所懐。 ツイッターより転載)







2011年8月21日

美しい雨



世界遺産になった岩手県平泉。そこに隣接していた衣川村というところがあります。そこで昔、農村家屋の調査をして回るアルバイトをしていました。その村は街灯がほとんど無く、日本で一番夜空の星がよく見えるということを自慢にしていました。山間の東北に顕著な村。


その頃は夏で若干涼しくなって来はじめの頃でした。天気は変わりやすくスコールがさーーっと(本当に他のノイズ無くさーっとという感じ)よく降ったのですがその時調査農家の下屋で少し雨宿りさせて貰いながら田んぼに斜めに突き刺さる雨をじっと見ていました。疲れていたというのもあるのでしょうが、そのしーんとした自然の中で得られるさらなる静寂。



心が洗われていくような、リフレッシュするような不思議な静寂に包まれながら、私はこれを空間で表現したいんだとその時から想っています。













2011年8月20日

2011年の夏から考える



江ノ島大橋より富士 神奈川


最近会う人とよく話すのが、「気温の高さ」
私は幼少を仙台と東京で過ごしましたが、冬は仙台にいた頃はそり滑りができたし、東京にいても雪合戦や山手線が運休っていう大雪なんか時々あった。べちゃべちゃの雪。


「温暖化」っていうのは地球全体の事であっても身近なエネルギーから排出されるからっていうのが震災前の未来への提言であったけど、原子力発電というのは温暖化の緩和策という考えもあって今もそれは世界でクリーンエネルギーとして大きくとらえられている。


そして、私たちの夏。とても暑い。ただし太陽光を受け止めるほど広くはないこの国土で訴えていくことは、地熱や上流からの水力、川辺・山間の風力ではないか。大昔に学ぶことをやめてはならないと思う。生きるために必要なものと壊してはならないもの。それは身近な生活に密接に関わっていると思う。




 
 

2011年8月14日

廃校の今後は


某中学校 東京都

わたしが在学していた中学校です。現在廃校になっています。
この学校ではないのですが、以前に廃校を特養施設にするという計画に携わりました。地元住民の意向を丁寧に聞きながらまとめたうえで策定する自治体の計画案でした。学校は災害時、地域住民の安全確保の拠点としての資質が高く、機能更新する際もこのことが第一に考えられていました。
今後自分の学校がどのように生まれ変わったかを目の当たりにした時、地域資産としてのありがたい学校跡地には「記憶」が残されていくのでしょうか。

2011年8月13日

大連の冬、夜明け



大連 中国遼寧省

私が現地で仕事をしていた時の写真です。当日の最低気温-15℃。プラス海からの風で手足が痛い。でも朝の日の出の瞬間は空気が澄んでいて綺麗でした。大連の人たちは日本人に親切で優しいです。時々届く中国のニュースを見ているとまっさらな日の出と中国の人たちの無垢でひたむきな空気を思い出します。負けていられんな!って思います。

2011年8月12日

東山魁夷の筆


東山魁夷 「冬華(部分)」 東京国立近代美術館

本人曰く「北欧の風物」「夢幻的な雰囲気が描きたかった」とある。

この画だけでなく、ほとんどのもので枝一本に存在感、生命すら与えるように描いてあり、全体に構成の強さと立体感を与え、純粋な構成が力強い。
それでいて全体は調和しており、日本画らしい濃淡が隅々にまで効いている。

そのためにはこの詳細写真が示すようにまるで自然そのもののような素材感、それぞれの存在感の調和というものに到達していると思う。この画の全体では光というものが主題となっているがそれはあくまで第一印象でしかないものであった。


プロポーションは



国立西洋美術館 東京 

17年ぐらい前に免震工事を行っていて、優しい学芸員の方に建物案内をしていただいた。その時に伺った興味深い話は、柱のプロポーション。

コルビジェの本来の太さではなく、日本の規格にあわせてこの太さになった。ということでした。故坂倉さん設計のパリ万博の日本館も細いが、独特の浮遊感が出ないんでしょうね。
しかしながらおおよそ3階建てのこの建物ですが、現代の設計であれば、さらにもっと太いかもしれませんね。(だからこそ免震にしたのかもしれませんが)

大きな吹き抜けに柱がど真ん中に立つなどナンセンスは考えられない現代の設計の中でこの吹き抜け、この柱の太さとのプロポーションはどういう風な位置づけになるのでしょうね。世界遺産に登録、されるかな?

2011年5月22日

被災後の仙台にて



被災後、初めて仙台に帰省しました。
自分がこの震災に於いて考えてきたことは、多すぎて頭の中でも未だに整理ができていない状況で自分の目で思い出として残って居る風景がどの様になったのかを確認したくて訪れました。

感じることが多く、頭の具合が悪くなりました。引き剥がされたような光景には自転車や原付で走った海までの清々しい道は残っていませんでした。市の中心部とは異なり浮き輪など売っているような民家のあるのんびりとした風情は荒野となっていました。

祈ることしかできませんでした。でも、訪れて良かったと思います。

2011年1月25日

金地院 八窓席 

八窓席 金地院内 京都府京都市左京区 南禅寺塔頭
(画像無し)

家康に縁深い金地院崇伝長老による南禅寺の塔頭。その中にある茶室が八窓席です。まず、立手水や高く付けられた雪見障子などが小堀遠州の作であることを暗示する中庭の導入部分。その中庭には鶴亀の庭とは異なる光のよく整った柔らかい空間があった。

長谷川等伯 筆の「猿猴捉月図」「老松図」の襖絵はつながっていて、八畳くらいの空間に添えられているものではなく、その先に続く自然が感じられる伸びやかで大きなもの。次の間にある八窓席は以前見た燕庵よりももっと利休に近く、デザインの密度が非常に高い。

「本物」に初めて出会えたようにさえ思った。小堀遠州の造作はとても細やかで、数センチの奥行きが確保された床の間飾り。光の道を支配する適当な下地窓、空間の中心を示すような皮付き柱、縁側に腰を据えて入るにじり口、計算された北向きの光。そして壁が「きれいさび」という概念が初めて理解できる「土」で出来ていた。他に櫛形の窓や数寄屋を連想させる凝った意匠が見られるが、遠州の大事にしていたのは表面上の部分ではなく、機能的に出来ているところとやりたいことが実現できているか、ということではなかったか。

ここで感じることは、人が一つの空間で瞑想、自分と対峙するような空間は、自然環境によく近い移ろいや違いが感じられるような、一言で言えば「味のある」空間なのではないかと思った。これは、私が歳を重ねたからかもしれないが。

金地院  鶴亀の庭


金地院  京都府京都市左京区 臨済宗大本山南禅寺

塔頭鶴亀の庭。小堀遠州の作庭したという証拠となる書状が残る唯一のものという。

東山の借景など当然として計算され形づくられる場所。
配置は元と異なるとはいえ、方丈からかたち取られた眺めにその答えはあると考える。
すべての角度、すべての配置に意味がある。龍安寺の石庭は小堀遠州であったという説がある。この庭を見ると、それも納得できる。一見すると南禅寺の枯山水の方がむしろそれに近いのかもしれない。しかしながら、この庭にはそれ以上を感じる。必要性を感じる。それには東照宮の関係、背後の植栽の関係が大いに関係しているはずである。まず、第一に作事奉行であったことが大きいのではないか。

夢窓疎石とは違い禅寺を開山し作庭事業だけではなく多くのことをしなければいけない彼は様々な関連性のもとにこの庭をおいたはずである。それには崇伝老人がどの様に東照宮を眺めたのかを感じ取らなければいけない。彼にとって家康の姿を拝むことは何よりも優先順位の高いものであった。つまり、石の色をそこだけ赤石を使い、一番大きな石を用いるということでそれは過大に表現されている。

しかしながらどうだろう。崇伝老人亡き後は東照宮は遮られれるほどに緑は高くなり、まるで背後を遮る龍安寺の土壁のような現在の関係となっているのである。つまり、彼は当時替えるものない国事建築家でありながらの芸術家だったわけだ。そして彼は考える。ここにふさわしいものは何だろうかと。めでたい鶴と亀をおいたにもかかわらず、だ。

この場所は南禅寺の塔頭でありながら、それだけにとどまらないものを目指した。南禅寺の屏風と比べると豪華さや壮大さが全く異なる。しかしながら、国宝があるのは金地院で南禅寺ではなく狩野派が総出で虎を描いているのに対して長谷川等伯の猿。あくまでも、草であったようである。黒衣の宰相といわれた崇伝老人は何者だったのであろうか。

2011年1月4日

近くにある原風景



横浜市 寺家ふるさと村

我が家から車で30分ぐらいのところです。祖父の家の辺りを思い出すような静かな風景。自分の住んでいるところも元々は同じ場所で人によって作られてきた、整えられてきたものであるんだなあと感じました。冬のしーんとした空気の中で澄んだ光を感じることができました。

紙人形



東京国立近代美術館(工芸館)※許可を得て撮影

ウチの母親がよく紙人形を作ってました。
近所の方々を呼んで作り方を教えたりして。
紙というのは色々模様があって色も鮮やか。
多種多様な紙を生かす文化は日本独自じゃないかなあなんて思っています。

紙の優しい風合いを生かしたものづくり。これからも目指したいですね。

2011年1月2日

萬鉄五郎



萬鉄五郎 『もたれて立つ人』 大正6年作 東京国立近代美術館

この方の絵にはザクザクという音が聞こえるようで、現代を感じさせる直線はジョルジュブラックのようなキュービズムに近く、迷いのない一瞬の感情表現が情感的に感じられていいなあと思いました。