Talk-onetree |一木 聡 satoshi ichiki |sichiki いろいろなデザインについて考えています.

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2012年5月20日

熊野における自然


和歌山県田辺市 熊野本宮大社大斎原、新宮市神倉神社、東牟婁郡那智勝浦町那智滝、新宮市熊野川 |KUMANO  wakayama.


自然崇拝、熊野。自然の力を見ると共にどれだけ人が自然と交わりながら生活を営んできたのかが、初めて理解できる場所。

色々な宗教思想、考えを元にこの場所は太古より重んじられてきたとされているが、私は神道の主幹とされる自然との交わりを大きく感じた。

日本という場所だけに海に囲まれ、川がその海に流れ込み、川は木々にうるおいを与え、木々は深き森を作り、森は人に一番近いところで神聖さ、静けさを与えてくれている。これが輝く太陽の下で絶妙のバランスを保ち(または保たれて)大切にされてきた場所であるだろうということ。その簡単で当たり前と考えている摂理が大切に感じられるのである。

しかし、それだけに平成23年の台風12号の傷跡は東日本大震災の被災地の記憶を呼び覚ますような惨状が未だに残り、木々の伐採も含めた将来への自然の変化、営みが思いやられる。

近くの伊勢にも内宮と外宮があり天の岩戸という起源を持つ奥の院がある。
大きくいえば紀伊の国、この場所にはいくつもの峠があり頂がある。その奥深さから自然の美しさと厳しさを体感できるところであったのだろうと思う。伊勢にも自然と神様との関係性については見えてくるものがあるものの、独自独特の素晴らしい建築群によって大きなフィールドであるような一体感に近いものを感じた。しかしながら熊野の地の場合については、それらは点在し、広く結ばれさらに自然に寄り添う(また同化する)位置づけになっている。

子供の頃から山を歩くと誰かに見られているような、話しかけられているような、そんな気持ちがあった。その時間というのはもしかしたら生きながらにしての「浄土」ということであって、それを知るためにこの地を訪れよと言っているような気もする。もちろん持論でありますが。

いずれにせよ、この場所を訪れるときはむしろ人と関わらずに、寡黙に自らを見つめながら周囲の空気感を感じることをお勧めしたい。

なぜ、元の本宮に行くときには川で足をぬらし身を清めたのか、なぜ本宮は中州に存在したのか、なぜ神倉神社の岩に降臨したとされているのか、なぜ古道は過酷な方の道を選んでいたのか、なぜ海に浄土を求めたのか、なぜ起源が不明なのか、なぜ那智の滝にではなく反対斜面に大社を設けたのか、様々な疑問があるのも、この場で立ち、体感してみると包まれる空気感で幾重もの信仰が重なりこの地が存在していることに関連していることを理解できそうな気がする。

だから、伊勢にも出雲にも無い独自の存在があるのではないか。

一度ではとうてい理解しきれない。また、行こう。

2012年5月19日

2K540



東京都台東区 (JR高架下) | 2K540 TOKYO Akihabara-okachimachi


仕事の関係でJR東日本都市開発のプロジェクト、「2K540」の見学に行ってきました。
倉庫などの低/未利用地であった秋葉原と御徒町の高架下を有効活用しアートのある、芸術家のいるものづくりのまちとして新たな人の流れを作るという、とてもコンサルティングライクな計画ではあるものの全体的にデザインコンセプトが統一されており清廉な印象を受けました。

高い目標を持って作った空間は、決してそうには見えないけれども共感できる何かを持っている。感じ取れる何かを持つことが出来ると過去に思っていました。たとえば、この空間であればイタリア、特にローマの寺院で見られる小規模であるけれども列柱の深み。

雨に濡れないということで自由な光の演出が可能になっていますが、それはサインを照らすものに配慮が成されている通常のアーケードやアトリウムのそれとは異なり、柱や高架下を照らすことに重みを置いている。

長いカプセルの中で、自由に演出できる空間を得た。
という感じでしょうか。

それがすべて電気で成されているのは、異論あるかもしれませんが旧来以前の公共空間から、日本でもようやく良い例が出てきたと思っています。空間はカラーやディメンションばかりでなく光や風や音で構築されてきたことを出来れば多くの人に感じて貰いたいものです。