Talk-onetree |一木 聡 satoshi ichiki |sichiki いろいろなデザインについて考えています.

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2011年1月25日

金地院 八窓席 

八窓席 金地院内 京都府京都市左京区 南禅寺塔頭
(画像無し)

家康に縁深い金地院崇伝長老による南禅寺の塔頭。その中にある茶室が八窓席です。まず、立手水や高く付けられた雪見障子などが小堀遠州の作であることを暗示する中庭の導入部分。その中庭には鶴亀の庭とは異なる光のよく整った柔らかい空間があった。

長谷川等伯 筆の「猿猴捉月図」「老松図」の襖絵はつながっていて、八畳くらいの空間に添えられているものではなく、その先に続く自然が感じられる伸びやかで大きなもの。次の間にある八窓席は以前見た燕庵よりももっと利休に近く、デザインの密度が非常に高い。

「本物」に初めて出会えたようにさえ思った。小堀遠州の造作はとても細やかで、数センチの奥行きが確保された床の間飾り。光の道を支配する適当な下地窓、空間の中心を示すような皮付き柱、縁側に腰を据えて入るにじり口、計算された北向きの光。そして壁が「きれいさび」という概念が初めて理解できる「土」で出来ていた。他に櫛形の窓や数寄屋を連想させる凝った意匠が見られるが、遠州の大事にしていたのは表面上の部分ではなく、機能的に出来ているところとやりたいことが実現できているか、ということではなかったか。

ここで感じることは、人が一つの空間で瞑想、自分と対峙するような空間は、自然環境によく近い移ろいや違いが感じられるような、一言で言えば「味のある」空間なのではないかと思った。これは、私が歳を重ねたからかもしれないが。

金地院  鶴亀の庭


金地院  京都府京都市左京区 臨済宗大本山南禅寺

塔頭鶴亀の庭。小堀遠州の作庭したという証拠となる書状が残る唯一のものという。

東山の借景など当然として計算され形づくられる場所。
配置は元と異なるとはいえ、方丈からかたち取られた眺めにその答えはあると考える。
すべての角度、すべての配置に意味がある。龍安寺の石庭は小堀遠州であったという説がある。この庭を見ると、それも納得できる。一見すると南禅寺の枯山水の方がむしろそれに近いのかもしれない。しかしながら、この庭にはそれ以上を感じる。必要性を感じる。それには東照宮の関係、背後の植栽の関係が大いに関係しているはずである。まず、第一に作事奉行であったことが大きいのではないか。

夢窓疎石とは違い禅寺を開山し作庭事業だけではなく多くのことをしなければいけない彼は様々な関連性のもとにこの庭をおいたはずである。それには崇伝老人がどの様に東照宮を眺めたのかを感じ取らなければいけない。彼にとって家康の姿を拝むことは何よりも優先順位の高いものであった。つまり、石の色をそこだけ赤石を使い、一番大きな石を用いるということでそれは過大に表現されている。

しかしながらどうだろう。崇伝老人亡き後は東照宮は遮られれるほどに緑は高くなり、まるで背後を遮る龍安寺の土壁のような現在の関係となっているのである。つまり、彼は当時替えるものない国事建築家でありながらの芸術家だったわけだ。そして彼は考える。ここにふさわしいものは何だろうかと。めでたい鶴と亀をおいたにもかかわらず、だ。

この場所は南禅寺の塔頭でありながら、それだけにとどまらないものを目指した。南禅寺の屏風と比べると豪華さや壮大さが全く異なる。しかしながら、国宝があるのは金地院で南禅寺ではなく狩野派が総出で虎を描いているのに対して長谷川等伯の猿。あくまでも、草であったようである。黒衣の宰相といわれた崇伝老人は何者だったのであろうか。

2011年1月4日

近くにある原風景



横浜市 寺家ふるさと村

我が家から車で30分ぐらいのところです。祖父の家の辺りを思い出すような静かな風景。自分の住んでいるところも元々は同じ場所で人によって作られてきた、整えられてきたものであるんだなあと感じました。冬のしーんとした空気の中で澄んだ光を感じることができました。

紙人形



東京国立近代美術館(工芸館)※許可を得て撮影

ウチの母親がよく紙人形を作ってました。
近所の方々を呼んで作り方を教えたりして。
紙というのは色々模様があって色も鮮やか。
多種多様な紙を生かす文化は日本独自じゃないかなあなんて思っています。

紙の優しい風合いを生かしたものづくり。これからも目指したいですね。

2011年1月2日

萬鉄五郎



萬鉄五郎 『もたれて立つ人』 大正6年作 東京国立近代美術館

この方の絵にはザクザクという音が聞こえるようで、現代を感じさせる直線はジョルジュブラックのようなキュービズムに近く、迷いのない一瞬の感情表現が情感的に感じられていいなあと思いました。