個人の通信手段のことを考えていました。
昔から遡ると、ポケベルから大型の携帯電話、インターネットとコミュニティ、小型の携帯電話、スマートフォン。その間の通信言語も文字とか絵文字とかステッカーとか動画とか写真とか多彩に入れ替わり、アプリケーションやソフトもメインの通信手段の変化により変わり続けてきたと思います。
これからどの様に変わっていくのでしょうか。
5Gという話題性ある通信網は相当量の情報を共有したり通信したり交換したりできる様ですが、それほどまで通信料は必要かも含め検証されるのではないかと思います。
個人的に思うのは必要情報量ごとに使うものが違うのであれば必要ないものが多く出てくる様に思われます。このコロナと付き合わなくてはいけない時代ではオフィスというものの一部もそれに該当することでしょう。また、紙面というものも必要なくなることがあるかもしれません。もしかしたら銀行も必要なくなるかもしれないし、役所も必要なくなるかもしれません。
ウェアラブルデバイスにより健康が管理され、その人に最適解を用意して、必要な時間に必要な機能の場所を導き出す。何かの情報によりすべき行動が導かれる様な。そんな時代はもうきてはいますが、スマートスピーカーが時に的外れな様に未だ現実的ではありません。
そのときに考えに浮かんだのは、Googleです。
もうそれは現実になっているのでしょうが、世界の情報シェアはGoogleによってコントロールされていると言っても過言ではないと思います。皆さんは見ることができるサイトとできないサイトがあることをご存知でしょうか。検索できない言葉が操られることがあることは有名ですが、デバイスによってもアプリによっても制限は存在します。
つまり、見えないものが存在していて、だれかがその存在を知っているということになりませんか?
例えば私が本を読みたいとします。
そのときに最適な回答をGoogleなりが教えてくれるでしょう。でもその最適は最適でない場合があることはなんとなく想像がつくと思います。でも、Googleは本を読みたい次のアクション、そして次の思考まで読むことができるだろうと思うのです。その「読まれた思考」は誰のものでしょうか?
あくまで、コンピュータによって解析された仮説を見せられているだけなのですが、個人の行動や思考、感情は多分ですがパーソナルなもので、見えないところで管理されているはずなのです。それはとても必要なことであるとしても、ちょっと気持ち悪く感じますよね。
ここで冒頭に戻るのですが、通信という手段が高度化し、何かしらの端末を持ち誰かしらのアカウントで自らを登録している場合、そこに人格が発生し見えない鎧を着ている様な、それをお互いに近づけると相互のマッチングなども生まれたりして。コロナウイルスの感染可能性を感染経験者の携帯端末で測るというアプリがありますが、これも似た様なものでしょうか。
コロナウイルスは危険だからという時代性で認められていると思いますが、それ以上に持っているだけで、望んでいなくとも自分の解析情報が解放される様なことが普通になってしまう時代にはなってほしくないなと感じました。















