東山魁夷の作品はずっと以前から惹かれていました。日本画の美しさだけでなく、情感を感じさせる日本画家だと思ってきました。今回の展覧会は本でしか見たことのない素晴らしいものも多く出展される滅多にない機会でしたが、特に印象的だったのは作品が生まれるまでの意識の部分でした。
本人曰く「白い紙は鏡であり、その鏡には心が映っている。私の絵は自らにあるそれらを定着させる作業です。」つまり風景は見たままを起こすものでなく、自分の中のものを表すものだったという事でしょうか。
39歳で「残照」という作品を完成させて日展で特選を受賞します。そのモチーフとなった風景は戦後全てを失った自らの心情を真に代弁しているものだったそうです。その後の「道」という絵(単に一本の道の構図)にもあるように、戦後の日本、そして肉親の皆を失った悲しみの中でこれから進む道や光を風景に見出しますが、それは時代を代弁する意識の表れであったのかもしれません。
「冬華」©nact
そして、生涯主題とした自然と向き合う時は自分が純粋である必要を説きます。「冬華」(雪深い森の中で一つの花のように白い木が立っているもの)という作品がありますが、雪というモチーフに対し背景を夜にすれば雪の白い木が展覧会で印象強く見る人に残るのではないかと考えたことがあったようです。しかしながら降り積もった雪の中という静寂の中、黒に連想される死や孤独ではなく、その場で感じた生命や温かさを伝えるためには純粋に白(グレー)を示したいという気持ちが上回ったようです。
「緑響く」©nact
そうしていくうちに精神の高まりを自らの生命や夢の中の一風景と向き合いながら作品の姿を求めていったようです。時に北欧では深い水と森の中で水面により映し出される上下ぴったり結びつく構図に神秘性を。ドイツでは建物など人工物に自然と触れるに近いアプローチを。当時の作品には何処と無く画に物語性が感じられ、それは「緑響く」(森の中の湖畔に白い馬が一頭歩く作品)などにわかりやすく表現されていると思いました。また、京都の一連の作品は移り変わり失われる前に市井のひとの関わる風情を自らに焼き付けている様です。唯一描きたい(残したい)日本の都市だったのでしょうか。
「唐招提寺御影堂」©nact
唐招提寺壁画は自らの人生を賭け、という言葉の通りにそれまでの作品が褪せて見えるぐらいの迫力と真剣さ、力が込められた大作でその壮大さに息を飲むほどです。遣唐使の時代を連想させる様な、大きく深みのある日本の山と海の自然や、古代中国とそれを基礎として生まれる水墨画に取り組み、等伯のように消え入るような中国景勝地の画を完成させています。徳の高さを山に精神を海の深さをというように自然画の中に鑑真和尚へ尊敬の念を投影させたようです。
「行く秋」©nact
唐招提寺以降の作画にはまた異なる意識をもとにたどり着いたものがあるように思います。例えば「白い朝」で自宅のキジバトをモチーフにするあたり、日常や目の前のありのままの美しさを愛おしむようになったのではないでしょうか。何か使命感に近いものに突き動かされていた活動が移りゆき、時の流れに逆らわない落ち着きが感じられます。
作品は緑青と群青を中心にした微妙な色づかいに淡々とした印象を受けます。青が有名な日本画家ですが、どの青も微妙な違いを見せていて、近くで画をよく見ると表面がザラザラしておりまるで石肌の様です。さらに輝くキラキラとした粒が見え自然物の様に感じられます。実際に自然物から色を取っていることも多いのでしょうが、見るものを澄んだ気持ちにさせ、静謐な印象が生まれるというのは自然に歩み寄る工夫があって成すものなのかと思いました。
日本画は比較的遠近感や立体感に乏しいと言われており、初期の「残照」以外では平面的なように感じる作品もありますが、立体感にかなりこだわったものがあります。例えば焦点が合ったもの(メインテーマ)が手前に立体を持って描かれる時に色彩は画の面より実際に盛り上がり強く存在感を持って作られています。水面に映る画では地上の光の受光面で黄色や白が生まれ、水面に映る中では反射対象が深く遠くに感じられるように描かれたり。
しかし、そもそも正確な描写が目的ではなく、時に抽象化した水の流れや木々の合わせに無名の何かが生まれていたのではないでしょうか。それらをバランスを保って印象づけているのは日本画自体の特性なのではないかと思いました。
しかし、そもそも正確な描写が目的ではなく、時に抽象化した水の流れや木々の合わせに無名の何かが生まれていたのではないでしょうか。それらをバランスを保って印象づけているのは日本画自体の特性なのではないかと思いました。
自然というものの姿、明確ではなく穏やかにそっと語りかける印象
これからも変わらずに見せてくれるのでしょうね。





