建築がまちにおかれる時のひととの関わりというのは、今までの日本のように意味や理由が曖昧で抽象的なものではなく、具体的な存在事由があることがより求められていくのではないか。ツイートひとつでも意味のある世の中。建物やマスタープランとはみんなが興味があること
都市マスはルールに近い目標ではあるけれど、個人的な判断は自治体の長であっても善し悪しのディレクションというのは難しく、かといって研究者が自治体の意向を翻すこともないだろう。マスタープランというのは「一番重要な都市の設計図」ではなく「このまちの羅針盤」のはず
つまりこれらの「まち」に関わることは日常であるのだから、より生活者が観点を持っていいことではないかと私は考えているのです。
(新建築ユーストについての所懐。 ツイッターより転載)