Talk-onetree |一木 聡 satoshi ichiki |sichiki いろいろなデザインについて考えています.

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2012年8月31日

土門拳と室生寺

murou-ji nara. japan



写真家、土門拳の足跡を辿り、奈良・室生寺へ。

土門拳氏の写真を初めて見たのは20年くらい前でしょうか、山形県酒田市にある谷口吉生氏設計の「土門拳記念館」を訪れた時でした。ウチの両親が「どもんけん、どもんけん」と言っていたので自分なりに学校の図書館で調べたことを思い出します。

それから近所の古本屋で「日本の寺 京都」という分厚い本をかなり安く購入し、渡辺義雄さんや二川幸夫さんと京都の寺社を撮影した写真集を見、その頃はGAなどで比較的二川さんの写真を見慣れていたので、二川さんの写真が持つ間とか空気感により大徳寺の景を捉えていたのとは違い、西芳寺や竜安寺の写真、というよりも「石!」とか「苔!」とか「竹!」とかいう撮影者の頭の中にへばりついた像を表現するような写真はよく分かりませんでした。

しかし、それからずいぶん経って小学館文庫から出版されているポケット版の「土門拳 強く美しいもの」という本を購入し、ぼくとつとしていて愛すべき人間像を知り日本の美というものにここまでロマンを持ってして追求し、自分の美しいと思ったものを残したいという情熱は凄いものだと思いました。そうして気づいたら同じ本を何度も何度も読み返していました。

それから古寺巡礼に関するもの、報道に関するもの、木村伊兵衛さんとの対談など色々なものを見て、ついには撮影に関する事まで知りたくなりました。私の同年代の写真を生業としているひとからはダサいの一点張りでしたが、美術という観点から写真の重要性を自分なりには感じておりました。今でさえ”Pinterest”にはヘンテコな日本の写真が出たりしますが明らかに合成や編集され粉飾が加えられたものがたくさんあるし、外国の庭園にみられる日本風庭園には冗談のようなものがあるように思います。

そのときに、氏の写真が持つ説得力がこれ以上なくわかりやすい、ごまかせない形で日本の美というものを捉えているのではないかと思っています。徹底的に余計なものを省いたのが日本の美学の本質という人もいますが私は決してそう思わないし、ギリギリのところで必要である装飾、ディテールに素晴らしいデザインがあったからこそ空間の豊かさを素晴らしいものに仕上げていったのであろうと思っています。それを1000本ノックのように執拗に生きる証のように表現として残そうとしたのが氏の情熱の源ではなかったかと私は考えています。


さて、そのような写真家がライフワークと言っても過言ではないまでに撮影に取り組んだのがこのお寺。ステップを踏むように山の斜面に沿いながらお堂が配されています。建築的な観点から写真家を魅了したのか。そうではないように思います。

この室生寺を語るにあたり、土門拳は村の人との出会い、故荒木住職から教えられた冬の室生寺の美しさについて大事に語っています。この場所に通い、久方ぶりに人と語らいながら美しい季節感のある境内を撮る。それが嬉しかったのでしょうね。そしてこの寺の隅々までを愛していたのでしょう。

実際その地に行ってたたずんでみると、想像していたものと同じ美しさがあり、写真が語りかけてきていたものが多くあったように思います。

国宝である金堂(写上)とても小五重塔(写中)奥の院(写下)に至るまでの道は凄くおおきな杉林の中、相当険しい階段でした。しかしながら来る人すれ違う人は皆元気で明るく清々しさがありました。木立に埋もれながらそれぞれが小さく、こどもにもご老人にもなじみやすい大きさがある。それでいて国宝とさえなっており、独自のデザインや存在感を持っている。「女人高野」といわれているようにシャクナゲの美しさや十一面観音の柔和な表情。

私は弥勒堂の釈迦如来座像を見て有名な土門のアングルと実物とのギャップに驚きましたが、寺はもちろん一つのものものに、世話になった室生に感謝の気持ちで撮影をしていたのではないだろうかとさえ思います。