Talk-onetree |一木 聡 satoshi ichiki |sichiki いろいろなデザインについて考えています.

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2017年7月1日

ジャコメッティ展


ALBERT GIACOMETTI 
Large Standing Woman Ⅱ. Walking Man Ⅰ The National Art Center. Tokyo


アルベルトジャコメッティの彫刻。

写真などでも見たことがある人は多いでしょう。インパクトありますよね。私の場合、何処と無く親近感の様な夢の一部の様な不思議な魅力を感じており、実物を見に出掛けて見ました。

私が出会ってきた美の中で近いフォルムなら、百済観音を思わせます。

実際に展覧会紹介で人となりや背景、精神を知ると20世紀の美術ど真ん中、シュールレアリズムに属される一見理解が難しいものかと思いがちですが、そうではなく、実はジャコメッティ自身はリアリティを追求していただけであり、作り上げるものは彼独自の細長いスタイルになる様で、会場示す氏のプロセスを経ながら、一つ一つの造形の面持ちやまなざしを見ると、非常にパーソナルな雰囲気を感じます。時代すら漂います。

展覧会の順に回想していくと、

①初期のブロンズによる彫刻は見る角度やボリュームをスタディーしていた様に感じます。特に女=スプーンは横から見るのがよいのではと感じました。正面からではスプーン的な造形に気を取られ、曲線だったり繊細さだったりは掴めないからです。キュービズムのコンポジションもありブロンズの形に色々な可能性を模索していたかのようです。

②抽象から具象への作風転換のきっかけと言われてるブルトンのためのドローイングはウルトラマラソンのおめんに怪獣の胴体の様でここが発端とは見えづらく、どんどん対象が小さくなっていった彫刻の展示とその近くにある言葉に答えがあるように感じました。

”私とモデルの間にある距離は絶えず増大する傾向を持っている。「もの」に近づけば近づくほど「もの」が遠ざかる。”

それまでの記憶や自分の中にある「もの」ではなく、何故かどんどん小さくなってしまう「もの」(現実)を絞り出す。それを試みる。そのことを繰り返すことこそが作り続ける理由であるように思いました。

③小さいモデルは本当に小さく指の第一関節くらいです。横や上から見るとそれはきちんとミニマリズムの精神に基づいてつくられているのがわかります。でもこれらはとても寡黙でまっすぐであるので存在がものすごく小さく、誰も気づかないくらい微細な印象しかありません。

④1m彫刻群となり像は細く、縦長になります。パリの群像を捉え自らに投影していきます。「三人の歩く男」は群像シリーズの中で動きがあり、もしかしたらスピードみたいなのを感じたから足の角度が綺麗な三角形をなしているのだろうかと感じました。足の形まで三角で人物の配置もどことなく三角で。細く長い彫刻がますますそれを印象づけます。

⑤弟ディエゴの胸像は何か優しくてユーモラス。なんだかウォーリー(絵本で有名な)を思い出しました。胸像についてはまなざしに拘ったといいます。

⑥1950年の男の胸像は正面から見ると、おかしな位に本当に本当に細いただの細い線ですが横から見ると、とぼけた味のある爺さんの様に見えます。

⑦耳に時々飛び込む山田五郎氏による解説機の内容が秀逸でした。まずジャコメッティとは引き算の美学であるといいます。曰く、ジャコメッティのことが一番わかるのは日本人では無いか。と。

小間の茶室、簡素な石庭を引き合いに出し、閑散としたパリ場末の風景をこよなく愛し、23平米のアトリエに亡くなる40年の間住み続けたことを投影しながら。

自分を自分とさせる為の場所に身を置きそこで生き続ける。

日本人の伝統というものは自らを律する場所に身を置き、自らを研ぎ澄ますことに本質があるのではないかと私は思っています。


⑧ジャコメッティのクライマックスは展覧会や出展物の制作が多くなったのでしょうか。そのために過労で亡くなったようでもありましたが、すべてを注ぎ込んだように感じられます。

「ヴェネチアの女」は均質の様でそうでなく、それぞれにプロポーションが異なり、だが頭の大きさはほとんど同じ。表情を見ても何らかの雰囲気を持った人物像がイメージされます。これを見るとジャコメッティ本人なりにそれぞれの対象を見たままであったことがよくわかります。これもそうですが、全般的に横から眺めることは楽しいですね。

上写真の三体「チェースマンハッタン銀行のプロジェクト」の大きな像はそれぞれが集大成を感じました。そこには展覧会を見続けて、新しいものではなく、自分にとってのスタンダード、そこにニューヨークを意識した様な伸びやかな自由さ、強さを感じるものでありました。

⑨展覧会の最後に記されたメッセージが印象的でした。

”そんなものはみなたいしたことではない。絵画も彫刻もデッサンも文章、はたまた文学も、そんなものはみなそれぞれ意味があってもそれ以上のものでも無い。試みること、それが全てだ。おお、なんたる不思議のわざか”

まるで試みることを続けていると自分でも判らないが、社会や世界の中で特にたいしたものではない何かを作り出すことが出来るのだというメッセージに思えます。