

Robert Capa / Gerda Taro ©ICP
写真の展覧会はあまり行く機会がないのですが、興味を持ち出かけました。
結論から言うと、写真のすばらしさ云々のことは余りよくわかりませんが、二人のカメラマンの「視点」を知ることが出来た展覧会でした。
二人は、戦場という場所を主に撮影場所として活動し、公私ともにパートナーとして認め合った仲。有名であるキャパ(フリードマン)と一時キャパとして写真を掲載せざろう得なかったタロー、その二人の若さみなぎる活動記録や視点の違いを表現してくれた展覧会。
沢木耕太朗氏によるキャパの写真「崩れ落ちる兵士」への新説も番組で見、多少の予備知識を入れて見に行きました。
まず、タローの写真については正方形に描かれるローライフレックスを用い、スペインの戦場の広い空を背景にひとが真ん中に配置するような構成的でどこか爽やかな写真から戦争のまっただ中にいくにつれ被写体の持つ感情や背景を描写するようなものへと変わっていく。
構成的な写真はアンリ・カルティエ・ブレッソンとも違う個性的なものであったのに、徐々に「キャパ的」な写真、報道的視点へと変わっていく。この視点の変化が展覧会中でもっとも興味を持ちました。
共和国軍の多国民による「集い」と同様に最初は協同という形でキャパを名乗っていた二人でありながら、先述の移り変わりにはタローの献身的な心が多きを占めていたのではないでしょうか。キャパという、自分以上にフリードマンが立派な存在へとなっていくことに、展覧会の資料からはタローのスタンプのある(キャパではない)写真も残っているものの商業的背景から「キャパ」の名前を冠した。という事実をも飲み込んで戦場へと赴いていたのではないでしょうか。時に自分一人で残り、赴くこともあった状況下には、この「心」がタローに汚れない写真を撮らせていたのではないかと思います。
また、タローは生活(家族、友、群)を背景に戦争の恐ろしさをとらえていたように感じましたが、キャパの場合にはひとの感情、想いが見て取れる、多くの意味での「動きのある」写真特徴があるように感じられます。そこにはひととひととの「つながり」「絆」が人生においてもっとも大切であったと考えるタローとひとの動きを見逃さないように捕らえたフリードマンとの大きな違いがあるようにも感じました。
そして、戦争という緊急事態の仲で「絆」こそがもっとも強く心に秘め、強くあるために必要なものであろうと考えさせられるとも感じました。
そして、フリードマン(以下、キャパ)の写真ですが、はじめは低いアングルで写すことで人の表情であったり、なにより子供の戦争への参加というものをつかんでいた写真でしたが、時間が移るにつれ、戦争とその周辺をも広角な場面を全体的に捕らえた「事象的な」写真が多くなっていくように感じました。
これは、自らの存在を報道写真家としてある姿を持ちながら、ポートレイト的なものよりもニュースやな動画的なものとして感覚的に捕らえたかったのではないでしょうか。
こうして、タローと生きた時期に感じられたひとの動きというよりは報道的側面が多くなるキャパの写真であったように思いますが、戦争においては「乱射的に、動的に」緊急事態を捕らえ多くの動きの一瞬を切り取ることに集中していたと感じ取れます。時には勝者と敗者それぞれの側面を鮮明に映し出したり、戦争という中での感情の揺れや動きが市井のひとにまで現れていたことを表現しています。上の写真でもわかるようにライフルの代わりにカメラのファインダー越しの闘いがそこにはあったと感じさせます。
キャパが1954年、来日したときに言葉を残しています。
「私はネガいっぱいにギリギリ撮るより、幾分余裕をつけて写し、なるべくたくさん周囲の雰囲気を入れようと思っている。
「私は日本の桜や、フジヤマが美しいのはよく知っている。私は桜の花よりもその下で生きている日本人の人々の方がほうが魅力だ」
キャパは情熱が昔ほどにはなくなっていた、そして、日本は写真のパラダイスだと言い、自らの写真家としての情熱を傾けられるような再生を遂げ、滞在中に同じアジアであるインドシナの戦場写真のライフ誌からの急なオファーを受け戦場でなくなります。
キャパの写真にひとの写真が多いのはひとの起こす事象とその本質を写真の中にとどめようと必死であったからではないでしょうか。それには戦争も平和もなく人が生き、活動するという普遍の現実の中で生きる自らの記録であり、生きる証であったと思われます。
そして、二人の写真は感じることの多くを残していると思います。